【令和の事件】首里城火災全焼。その前におさらい。

首里城が火災により令和元年10月31日全焼しました。 沖縄の方たちの心のよりどころでもあったようで、涙している方をテレビで見た人も多いんじゃないかな。 とはいえ、首里城についてしっかり知らない人もいるのでちょっとおさらい気味にお話します。 当然史実などを基にお話はしますが、そこに情緒などはない為、首里城に思い入れのある人からみると簡単すぎるとお叱りうけそうですがご容赦ください。

首里城とはなんぞや

首里城は沖縄にある城です。(【また】再建するだろうから【ある】で正解です) 1879年(明治12年)に琉球から沖縄県に変わるまでは、独立国として琉球王朝の王城として栄えていました。詳しくはまた判明していませんが13世紀末くらい築城されたとされています。

琉球王国から沖縄県へ

「1879年(明治12年)に琉球から沖縄県に」というと、本土の人は簡単に「あー廃藩置県ね。知ってる知ってる」と言いますが、これは良くない認識です。 確かに琉球王国は。前回の全焼の時に薩摩藩から再建ようの木材2万本を提供うけているはど、薩摩藩とも仲が良いですが、日本と清(今の中国)の両方の属国としてうまく機能していたのです。 廃藩置県の8年後に、沖縄にするという通知を出した後、琉球王国の反応がない(遅い)ため(琉球王国としては、日本に所属すると財産没収とかあるかもと不安だったようです)、明治政府は、武力行使に訴えました。 警官と軍隊をひきいて、「琉球藩を廃して沖縄県を設置する」と宣言して藩王を逮捕したのです。 140年前の話なので、そこまで昔の事ではないですよね。祖父からその当時の話を聞いたという人がいます。 だから沖縄県の問題はデリケートなんです。 首里城の場所

首里城のその後

沖縄にあるまでは王城として利用されていました。 沖縄県になったあとは、県庁してではなくし、日本陸軍の軍営とし使われていました。 その後に、首里市に払い下げられ、学校などとして利用された。 やはり老朽化がすすんで取り壊しになるかと思われたのですが、伊東忠太、鎌倉芳太郎たちの働きかけによって、正殿は県社沖縄神社の社殿となり「(旧)国宝」となりました。

首里城 破壊の歴史

・1453年志魯・布里の乱(王位継承の争い)で焼失 ・1660年焼失 ・1709年焼失。この時に薩摩藩から2万本近い木を提供されている。現代の首里城はこの時の姿を復元したものです。 ・1945年沖縄戦で破壊 ・2019年焼失

首里城小ネタ

・正殿に源為朝が祭られている。(源為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王になったという説がある)。 ・首里城は世界遺産に登録されているが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない。 ・火災の時にyoutubeで「自分が放火した」という動画がアップされたが、愉快犯だと思われます。
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